
私は6月、山梨県郡内地方の小山田氏史跡を訪ねた。まず大月駅から鏡岩の威容が見える岩殿山に登る。武田信玄の重臣、小山田信茂が城主の堅城である。勝頼が信茂を頼り、笹子まで来たが謀反を知り、天目山で自刃する。このような史実から小山田信茂への印象は多くの山梨県人にとって極めて悪い。ところが、郡内に来ると、信茂は郡内=北冨士地方の領土を守るために織田方に付いたという評価になる。確かに戦火は免れた。
都留市の勝山城、中津森、桂林寺が小山田氏の拠点であった。菩提寺の桂林寺に、室町時代の初期に小山田氏が奉納した板碑の青石塔婆(写真)があり、それが秩父産であることを知る。後日、私は長瀞町野上にある青石塔婆の石材である緑泥片岩採掘場跡と日本一大きい野上下郷青石塔婆を訪れた。藪を掻き分けて入った山中に採掘場はあった。ここから鎌倉時代、室町時代、戦国時代に関東各地に青石塔婆の石材として出荷していた。私の住む近くに、貴重な史跡があることを、山梨郡内の旅で知る。旅は何らかの新しい発見があり、楽しい。
戦国を刻む板碑や夏座敷
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