
私は2008年7月18日、茨城県行方市、鉾田市に北浦武田氏の史跡を訪ねる。土浦駅前でレンタカーを借り、国道354号を東進し、霞ヶ浦を越え北浦の二つの湖の間に北浦町、かっての武田村があった。標識や説明板などはまったく無く、市庁舎で頂いた地図を頼りに歩き回り、土地の人に尋ね、史跡を廻る。
甲斐守護十三代武田信満の弟信久は、応永23(1416)年の上杉禅秀の乱に敗れ、甲斐から北浦の武井郷に逃れた。子孫が居住地を武田郷と改称し、以後九代武田信房が佐竹義宣に敗れるまでの174年間統治した。今も武田川、武田小学校などの名称、武田菱を用いている民家が二軒ある。菩提寺の円通の屋根には、武田菱があり、累代の風化磨耗した墓が並ぶ。
行方市の神明城(写真)、その支城の西館、小貫城、木崎城には土塁や空堀が残る。鉾田市の武田城主末裔の方にお会いする。家紋は武田菱という。
甲斐から茨城へ、甲斐源氏武田氏は足跡を残していた。
茨城の夏に見つけし武田菱
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