私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
北浦武田氏
2008-09-01-Mon  CATEGORY: 武田氏
012出曲輪辺りから
私は2008年7月18日、茨城県行方市、鉾田市に北浦武田氏の史跡を訪ねる。土浦駅前でレンタカーを借り、国道354号を東進し、霞ヶ浦を越え北浦の二つの湖の間に北浦町、かっての武田村があった。標識や説明板などはまったく無く、市庁舎で頂いた地図を頼りに歩き回り、土地の人に尋ね、史跡を廻る。
 甲斐守護十三代武田信満の弟信久は、応永23(1416)年の上杉禅秀の乱に敗れ、甲斐から北浦の武井郷に逃れた。子孫が居住地を武田郷と改称し、以後九代武田信房が佐竹義宣に敗れるまでの174年間統治した。今も武田川、武田小学校などの名称、武田菱を用いている民家が二軒ある。菩提寺の円通の屋根には、武田菱があり、累代の風化磨耗した墓が並ぶ。
行方市の神明城(写真)、その支城の西館、小貫城、木崎城には土塁や空堀が残る。鉾田市の武田城主末裔の方にお会いする。家紋は武田菱という。
 甲斐から茨城へ、甲斐源氏武田氏は足跡を残していた。



茨城の夏に見つけし武田菱
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