私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
黄梅院
2008-09-23-Tue  CATEGORY: 武田氏
10黄梅院
 8月22日、レンタカーで甲府山手通り沿道にある武田史跡を廻る。甲斐市竜地に武田信玄長女の黄梅院の墓がある。4本の大杉のある台地上に、簡単な屋根が4本柱で支えら移れた空間に、黄梅院と思える風化した五輪塔が建ち、就辺には小さな石碑が10基ほど並んでいる(写真)。黄梅院は天文12(1543)年三条夫人を母として生まれ、甲斐、駿河、相模の三国同盟による政略結婚により、12歳の時15歳の北条氏政に嫁ぎ、嫡男氏直ほかを生む。懐妊を知った父信玄は、安産祈願の願文を富士吉田の冨士浅間神社に奉納し、現存する。永禄十二(1569)年、甲相駿同盟破棄により、甲府に戻るとその年の内に27歳で病死する。信玄はこの地に菩提寺黄梅院を建立し、供養を行なった。今は伽藍は無く、五輪塔が残るのみである。信玄と和睦した氏政は、箱根の北条氏菩提寺早雲寺に黄梅院の供養の塔頭を建立した。
黄梅院の御本尊の子安地蔵が、近くの竜蔵院にあるというので訪れるも、無住寺で確認は出来ない。史跡めぐりをしていると、時々、無住寺に遭遇し、文化財や寺伝の伝承を危惧し危機感を覚える。私に出来ることは、足しげく史跡を訪ね、記録にとどめることであると思っている。


 蜻蛉舞ふ戦国女性の五輪塔
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