私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
都留市と深谷市の秋元氏
2008-12-14-Sun  CATEGORY: 武田氏
14秋元氏陣屋跡
 08年10月5日、山梨県都留市谷村町の勝山城を訪れる。山城で、居館は平地の小学校の校庭にあった。校庭は運動会の歓声で埋まっていた。
 武田信玄の重臣小山田氏の拠点であったが、江戸時代、最後の城主を務めたのが秋元氏であった。秋元氏は群馬県総社から転封し、寛永十(1633)年に谷村藩主となり、宝永元(1704)年まで三代・71年統治する。この間、谷村の城下町を整備し、町内を貫く大掛かりな大堰開削工事をやり遂げ灌漑用水、飲料水、織物などの工業用水として地域発展に大きな貢献をした。勝山城には「お茶壷蔵」という宇治から江戸の将軍にお茶を献上するための保管蔵があった。そのお茶壷蔵が不要になると、勝山城は廃城となり、秋元氏は川越に移封となる。
 08年12月14日、私の住む深谷市の上杉顕彰会行事の秋元町史跡めぐりに参加する。秋元町は私の家から歩いて5分ほどの隣接した町である。戦国時代から江戸初期にかけて深谷上杉氏家臣として秋元氏が陣屋を置いたことから付けられた町名である。(写真)陣屋跡や菩提寺などを廻る。秋元氏は土木工事が得意で用水の開発などの功績を残す。この深谷の秋元氏は、群馬総社に移り、そして谷村に転封したのである。深谷市の秋元氏は都留市の秋元氏は繋がっていた。深谷で培った土木技術が谷村で大きく花を開いていた。

  
             城祉の碑建つ校庭の運動会
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