私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
宮沢賢治とようばけ
2009-01-23-Fri  CATEGORY:
29ようばけ
私は2008年12月28日、秩父の小鹿野町にある「ようばけ」を訪れる(写真)。二年前に続いての再訪であるが、その雄大さに見とれてしまう。「ようばけ」は「陽」のあたる「ばけ」で「ばけ」は崖のことである。高さ100mの崖が400mにわたり続くが、それは今から千五百万年前の新生代第三紀の地層の褶曲のパノラマである。そのころの日本列島は殆ど海で、奥秩父の裾野が海辺であった。目の前に広がる地層は海底で堆積された砂岩や凝灰岩で千五百万年の間に海岸線は退き、沈降と隆起を繰り返し現在のダイナミックな情景となっている。今も、カニやサメの化石が産出する。人類が誕生したのが二百数十万年前だから、この「ようばけ」の前に立つと人間の小ささ、人間の諍いのおろかさを思う。
「ようばけ」に大正五年九月、地質調査のために宮沢賢治が親友保阪嘉内と共に訪れた時詠んだ歌の歌碑がある。
 
 さはやかに半月かかる薄明の 秩父の峡のかへり道かな     宮沢賢治
 
 この山は小鹿野の町も見へずして 太古の層に白百合の咲く   保阪嘉内

このとき宮沢賢治は盛岡農林学校の生徒で、25名の仲間とともに5日間の秩父地質巡検を行っている。賢治は翌年七月にも地質旅行で秩父を訪れている。

                     岩壁の海底の皺冬日照る    保坂嘉郷
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