私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
阿修羅展
2009-06-03-Wed  CATEGORY: 美術
DSCN5405.jpg
>/strong>6月2日国立博物館平成館で、阿修羅展を観る(写真)。1時間以上の待ち時間の情報を得ていたので開館前に着き、御蔭で苦痛を感じるほどの「渋滞」も無く入る。第一章は興福寺須弥壇から出土した遺物で、蝶や花をあしらった白銅の鏡、直径が40cmもある金銅大盤の中央には「上」という文字がはっきり読み取れる。銅錫鉛合金製の響銅盤がある。千三百年も昔に合金技術があり薄い容器に模様をつけた鋳造技術があったことは驚きである。水晶念珠、水晶丸玉、黄・黄緑・青緑・褐色のガラス碁石形玉、瑪瑙念珠、水晶六角柱などの精緻な加工技術にも驚く。私の「驚き」の中に、千三百年も昔には出来るはずがないという現代人の驕りがある。見方によっては人類はさほど進歩していないとも云えるように思えた。
 第二章は八部衆と十代弟子の立像がズラリと並ぶ。何れも734年の作である。八部衆のひとつが国宝阿修羅像で、別室のスポット照明の中に立つ。何故か判らぬが、私は込み上げる気持ちを抑えきれず涙ぐむ。感動!眉間を寄せた少年の先を見つめる眼、人間そのものの表情、草履を履いている足、耳で繋がる3つの顔と6本の手に何の不自然さもない。像を見つめていると周囲の大混雑の観衆は消え、私と少年の世界となる。阿修羅像は後に孝謙天皇となる16歳だった安倍内親王か、聖武天皇の少年の姿と重ねた記事を読んだが、その高貴さは納得する。私はこれほどの作品に作者が示されていないことに気付いた。他の八部衆、十大弟子立像にも作者名が無い。
 第三章は鎌倉時代作の四天王像には運慶の弟子康慶の作と記されているし、運慶作の釈迦如来頭部もある。四天王は何れも鎌倉時代らしい剛健な立像である。
 日本人の創造性の素晴らしさに感銘し、誇りを持って会場を出る。その足で都美術館の「日本の美術館名品展」220点を観るが、ピカソ、ミレー、モネ、黒田清輝、岸田劉生、小磯良平、藤田嗣治らの名画も阿修羅の少年の前ではかすんでしまったのである。
 

阿修羅来て上野の森に夏きざす













 
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2009/11 >>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -


余白 Copyright © 2005 風林火山の旗 海を渡る. all rights reserved.