私の故郷は山梨である。幼い頃、戦国随一の強固な軍団や信玄堤などの民政を大人たちは話してくれた。サラリーマンとなり、各地の武田一族の史跡を訪ね、その歴史と浪漫を探る紀行文である。
風林火山の旗 海を渡る
甲斐武田氏と大菩薩峠の机龍之介
2009-06-29-Mon  CATEGORY: 武田氏
14耀武館
5月4日私は秩父郡小鹿野町の甲源一刀流逸見氏練武道場「耀武館」を訪れる(写真)。甲源は甲斐源氏の略である。秩父逸見氏の祖先は清和天皇6世の子新羅三郎義光で、代々甲斐に住んでいたが、大永年間(1521−28)に十世逸見若狭守義綱がこの地に移住した。十九世逸見太四郎義年が剣の技を磨き、甲源一刀流と名付け開祖となる。現在の逸見氏26世の御当主は、また甲源一刀流剣術九世に当り、道場主として少年剣士を育てている。義網が大永年間に秩父に入ったのは、武田信虎が石和川田館から甲府躑躅ケ崎に居館を移したことによる諍いによると伝わる。道場の近くに逸見氏の菩提寺高源院があり、御住職にお聞きすると、武田氏制札などの武田氏関連の寺伝が少なくないし、逸見氏一族も秩父地方を中心に多く分散して居住しているという。
 江戸時代から続く道場には、竹刀で突かれた窪みが板壁に残り、当時の稽古の激しさを知る。多くの剣豪も生み出し、最盛期には三千人を超す門弟が関東各地で活躍していた。資料館にはその歴史を示す資料の中に、片岡知恵蔵が机龍之介を演じる大菩薩峠の映画のポスターがある。机龍之介のモデルはここ耀武館の高弟をモデルにし龍之介の「音なしの構え」は甲源一刀流であった。

      
    新緑の秩父に見つけし甲斐源氏
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